高松公園の概要

水と桜と岩手山、高松公園のベストビューポイントより

 上田堤が造られたのは、南部26代藩主信直公が三戸より盛岡に移り、盛岡城築城を開始した慶長年間から寛永年間といわれています。当時、上田方面は湿地帯で、池方面からの浸水が町づくりの大きな障害となったため、治水を目的として、上田に三段の堤防が築かれました。この上堤、中堤、下堤のうち、最も大きかった中堤が、現在の高松の池となって残っています。上田堤付近は南部公の鷹狩りの場であり、また、松林の美しさが有名であったことにちなんで「高松の池」と名付けられたと伝えられています。

 明治22年、盛岡市が市制施行となると、上田堤の公園化が進められ、同39年には、日露戦争記念事業として市民の寄付によって池の周辺に吉野桜千数百本が植えられ、盛岡市の桜の名所となりました。1949年(昭和24年)に「市立高松公園」に指定された以降は、本格的に公園整備が進められ、ボタン園・アヤメ園・バラ園などが整備され、自然豊かな風致公園として市民に親しまれています。

 1989年(平成元年)には「日本さくらの名所100選」に選ばれました。 これは岩手県内では、北上市の展勝地と2カ所のみです。毎年、4月下旬から5月初旬にかけての桜のシーズンには「さくらまつり」が開催され、池周辺は数多くの花見客でにぎわいます。

※上記解説文は、盛岡市の公式サイト「ウェブもりおか」より引用、アレンジしました。

1月 冬の高松の池

高松公園のデータ

所在地 岩手県盛岡市高松1丁目26-1
計画決定年月日 1957年(昭和32年)9月19日
計画決定面積 54.1ヘクタール
開設年月日 1956年(昭和31年)10月15日
開設面積 45.62ヘクタール

※データは盛岡市の公式サイト「ウェブもりおか」より引用。

園内の憩いのスポット

白鳥の群れ 高松の池は、冬は多くの白鳥の飛来地として有名。昭和59年からの餌付けにより、白鳥が飛来し始め,現在では1月のピーク時で200羽を超える白鳥が飛来するようになり、4月頃まで越冬します。

 冬季の湖面では,戦前からスケートも行われており、1958年(昭和33年)には第13回冬季国体、第7回全国高校スケート大会の会場ともなりましたが、1978年(昭和53年)頃から氷が薄くなり、現在は氷上の利用が禁止されています。

 公園内のバラ園には,現在40種以上のバラが植えられており、6月中旬頃には見頃となります。また、ボタン園には200本を超えるボタンやシャクヤクが植えられていおり、毎年5月中旬から5月末にかけてが見頃となります。

シベリア抑留平和記念像「ひまわり」 シベリア抑留平和祈念慰霊碑、シベリア抑留平和記念像「ひまわり」 、平和記念像「望み」 、横川省三の銅像(現在は台座のみが残る)、村上昭夫詩碑等、趣深い彫刻や石碑も各所に設けられており、池を一周できる約1.4kmの遊歩道は散策、ジョギング、バードウォッチング、写真撮影等を楽しめる市民の憩いの場となっています。

ボート乗り場 また、池の南岸にはボート乗り場があり、春から秋にかけては、手こぎボートやスワンボート(足こぎボート)でボート遊びが可能。桜のシーズンには遊覧船もお楽しみいただけます。

※上記解説文は、盛岡市の公式サイト「ウェブもりおか」より引用、アレンジしました。